大学教員,科学と教育と音楽について語る

大学教員(気象予報士)でありギター弾きのワタシが,天気に科学に教育に音楽に,日々思う雑感を語ります。

いつでもどこでも確実にできる決め技を身に着ける

 これまでにギターと歌のステージに何度か立たせていただき,しばしば思うことは「家で練習している時にはすんごい気持ちよく弾けているのに,なぜ本番になると思った通りに気持ちよくできないのだろう」ということです。おかしい,家では一流ギタリストのはずなのだが(笑)。まずは,練習不足。練習の量が足りないということはあるでしょう。日々色々とやらなければならないことがある中で,なんとか時間を見つけて練習する。これを毎日少しづつでもやり続けることが大事。忙しい毎日の中でなるべく練習を継続できる自分なりの方法を編み出すことも大事。そのような継続の積み重ねが本番において最低限の力が発揮できるためには必要。

 しかし,正直言うと,そうは言ってもそれなりに時間を見つけて練習しているつもり。そりゃ毎日はできていないけど,そこそこ継続的に,そして練習の内容もそんなに間違ったことはやっていない気がする。なんだかんだで30年以上一応ギターを続けてきた。

 それと実は私,本番のみならずバンドやデュオの練習,つまり人と合わせて演奏する練習でも,上述の「家で一人でやっている時の出来となんでこんなに違うんだろう」というふうに思うことが多々あります。家で一人で弾いているときは結構「イケてる」と思ってたのに。人と合わせて演奏するとイマイチうまくいかない。

 本番や人と合わせての練習でどうも思った通りに上手くできないわけ。上述のとおり,継続的な練習が足りない,一応やっているとは言ってもやはり不足があるのだろう。でも,この記事で言いたいことは少々そこから外れることなんです。

 では何が言いたいか。観客が1万人であろうとも10万人にであろうとも,演奏の相手がワンちゃんであろうともニャンコであろうとも,はたまた渡辺香津美さんであろうとも,寝ながら食べながら用を足しながらでも目をつむっていても,どーんな状況でも絶対に確実に気持ちよく演奏できるという自分の定番技を身に着けて仕込んでおくことの大切さである。一流と言われるギタリストの演奏を聞くと,その人の演奏するあらゆる曲で共通してお決まりのフレーズが結構多いことに気づく。別にそれは悪いことではなく,むしろそれがそのプレイヤーの個性をすごく匂わせる。技術的に素晴らしくてもその演奏者ならではの定番技というのがない演奏というのは,「上手いなあ」とは思うけど意外に印象に残らなかったりする。技術的に「ん?」という感じでも「うあ,出た。なんかこの人っぽいよねえ」と思わせる演奏の方がより心に残ることが多いような気がする。

 こういういつでもどこでも絶対にできる定番技は,もちろん本番で緊張していても,人と合わせて演奏する時でも,あらゆる場面で十分な余裕を持ってできることだろう。ということは,こういう定番技をたくさん仕込み,さらにそれらのいい感じの組み合わせを体にしみ込ませておけば,いつ何時でもある一定レベル以上の演奏が可能になるだろう。

 このような定番技の重要性は楽器の演奏のみならず,スポーツや授業など様々な分野のパフォーマンスにあてはまることだと思う。

 しかし,そういう定番技って,やっぱり日々の継続的な練習の中で自然発生的に出てきて何気なしに何度も繰り返していて,知らないうちに体に馴染んでいるって感じのものなんだろう。ということは,結局日々の練習の積み重ねが大事だね,という初めの方の話に戻るわけです。