大学教員,科学と教育と音楽について語る

大学教員(気象予報士)でありギター弾きのワタシが,天気に科学に教育に音楽に,日々思う雑感を語ります。

「できる」ということと「自分らしくやる」ことは違う

 先日,ソロギター弾き語りのステージを経験させていただき,色々と思うところを投稿させていただきました。

yyamane.hatenablog.com

 さて今回,ギター弾き語りソロステージに向けて練習をする中で,自分が気持ちよく胸キュンで歌うことができるキーの重要性を意識するようになりました。キーというのは,詳しい話はさておき,カラオケでキーを上げてとか下げてとか,原曲のままで,というふうに言っているあのキーのことです。このキーをどう設定するかによって,自分にとっての歌いやすさや感情の入れやすさがガラッと変わってきます。歌い手にとって歌いやすい,気持ちが入れやすいということは,キーの設定次第でお客さんへの歌の伝わり方もガラッと変わってくるということです。つまり,キーを下手に設定すると台無しになる,逆にキーをうまく設定すると,超一流のパフォーマンスも期待できる(笑)ということです。

 私はこれまで,キーを変えて歌うのは原曲の魅力を失うかもしれないというような考えから,原曲のキーのままで歌った方がよいと思い込んでいたところがあったことに気付きました。加えて,原曲キーのままでも声が出るからOK,ということで原曲キーのままで歌うということが多かった。キーを原曲から変える場合は,音域が高すぎて声が出ないからという理由が殆どだった。要するに,声が出るから原曲キーのまま,声がでないからキーを下げる,自分ができるかできないかでキーの設定を決めていたわけです。

 しかし今回,ソロ弾き語りに向けて練習する中で,原曲とは違うが明らかにこっちのキーの方が自分は気持ちよく胸キュンで歌えるというキーがあるということに今更ながら気づきました。音域的に声は十分出るけど,より低いキーにした方が自分の感情が表現しやすい,曲の世界に入り込むことができる。声が高く出たり指が速く動いたり,技術的に問題なくできたとしても,曲に気持ちが入らなければ聞いている人には伝わらない。「できるということ=よいパフォーマンス」には必ずしもならないということです。単に「できた」としても,それだけだったら無味乾燥な演奏や歌になりがちで(しかも「できた」自分に自己満足しがち),そこに表現者のオリジナリティーは感じられないでしょう。

 技術は伝えたいことを伝えるための手段,道具に過ぎない。技術はハートを伝える手立て。ハートがなければ伝わらない。色々な歌い方,キー,ギターの指盤上のポジショニングを試みて,自分がしっくりくる形を探求することの重要性を認識しました。もっと自分の気持ちに正直に音楽に向き合うこと。

 ただ,ハートがあってもあまりに技術が未熟だったら,それはそれで問題。伝わるものも伝わりませんから。技術の向上に努めることも大切なことは言うまでもないです。