大学教員,科学と教育と音楽について語る

大学教員(気象予報士)でありギター弾きのワタシが,天気に科学に教育に音楽に,日々思う雑感を語ります。

科学における謙虚さ

 何かにつけて違和感を感じることが多い私ですが,ここ最近特に気持ち悪いなあと思ってしまうのがいわるゆカタカナ語。ファクト,コンプライアンスコモディティシナジーコンピテンシーアジェンダ、などなど。会話やメールの文章に結構頻繁に放り込んでくる人もいますね。日本語でええやん,て思うこともしばしばです。

 エビデンス,これも本当によくでてきますね。エビデンスを示せ,これについてはエビデンスがありますか?,とか。科学的に証明されていることにはエビデンスがあり,そのエビデンスは多くの場合論文,特に査読付き論文というものに示されている。よって,何かしらの主張をする場合に,その根拠として「エビデンスを出せ」や「論文で示せ」とか,そういったことが言われたりするわけです。SNSをながめていると,例えばコロナやコロナワクチンに関する何かしらの主張に対して,エビデンスはあるのか,論文出ているのか,或いは,論文書いて主張せよ,といったコメントをよくみかけます。

 でも査読付き論文になっていれば,その内容は本当に正しいのか。エビデンスがあればそれは真実なのか。そもそもエビデンスとは何か。そもそも正しいとは,真実とは何か。そんなものはあるのか。

 エビデンスを基に何かしらを主張すること自体は否定しません。査読付き論文という専門家の厳しいチェックを経た論文は学術的に価値のあるものだと思います。ただ,エビデンスや論文があれば全て正しいとは限らない。多くの場合,論文で主張される内容は,ある事柄に対してある特定の視点や観点から客観的,論理的に考察したことについて記述される。その視点や観点からみればそれは「正しい」のかもしれない。しかし,同じ事柄でも違う視点や観点からみれば,全く違う結論が得られることも往々にしてあり,それも「正しい」。円柱を真横からみると長方形(または正方形)に見える。でも真上からみれば円に見える。どちらの見え方も「正しい」。あらゆる視点や観点から見ることで「実は円柱である」という真実がわかってくる。

 専門家が長方形に見えると言っている,論文も出ている,エビデンスがある,なので長方形だ。円とか言うやつは陰謀論者だ!というような主張をSNSでよく見かけます。私はこういう主張に対して「謙虚さがないなあ」と思ってしまう。ある視点で見た一つのエビデンスがあるものの,見方を変えれば違うエビデンスが得られ,違う結論が得られるかもしれない。ここでいう謙虚さとは,こういった健全な疑いを常に持ち,色々な意見にまず真摯に耳を傾けるということです。色々な見方や考え方をフラットに議論する。その結果,誰もが納得する結論は得られないかもしれないが,私はそれはそれでいいと思う。議論し続ければよいのだ。

 そもそも我々人間ごときに神羅万象についてあれが正しいこれが間違っていると言えるほどの力量,見識があるとは思えない。ただ,真実を知る,真理を明らかにすることをいつまでも目指して,謙虚さを持って科学の議論をすることは大事にしたい。

 それから,エビデンスがない,論文で示されていないなら主張するな,という風潮はよくない。そもそも最初は感覚や直感で「こうかもしれない」というのがまずあって,じゃあそれをちゃんと調べて確かめようということでエビデンスが得られ,論文が書かれるわけである。最初から直感や感覚,主観はあいまいでアテにならない,そんなものに基づいて物を言うな!とか,専門家ではないなら黙ってろ!というのは,我々が世界をちゃんと理解認識しようとすることへの著しい妨害である。色々な人の様々な直感や思いつき,それらを丁寧に拾い上げ,「謙虚に」追求していく。そうすることで,我々の神羅万象に対する多様な理解が広がっていくのだと思う。

バングラデシュで感じた日本との違い~その2(繋がりを大切にする)

 さて,実は今年入って初めてのブログとなります。みなさま,本年もどうぞよろしくお願いします。昨年1月から書き始めたこのブログ。上半期はまあまあ頑張って書いて投稿しておりましたが,下半期に失速してしまい記事はほぼゼロでした。今年はなるべくコンスタントに投稿していきたい(と書いておいて,この2月の段階で本年初の記事という状態・・・)。書くことで自分の頭の中の考えが整理,明確化されます。そのようなブログの効用もありますので,今年は投稿を増やして頭の整理を図りつつ,多くの方に発信できればと思っております。

 

 2024年といいますと,実は私がバングラデシュで調査研究をはじめて22年目。改めて,20年以上もバングラデシュと関わり続けているのかと感慨深く思うと同時に,こんなに長くお付き合いすることになるとは予想外でもありました。というのも,そもそもは自分の方から積極的にバングラデシュに行こうと思ったわけではなかった。初めてバングラデシュへ行った当時,大学院生だった私の指導教員からたまたま「あんた,バングラ行くか?」と言われ,「旅費も出すよ」ということで,「タダで海外行けるならまあ行ってもいいか」という感じで,軽い気持ちで行くことにしたのがキッカケだったのです。なので,まさかこんなに長くバングラデシュと関お付き合いすることになろうとは当初想像もしなかったわけです。

 

 長いお付き合いに繋がる出会いというのは,意図せず偶然からはじまるということが結構ありますよね。その出会いがどうなるか,まったく予測不能。だからこそ,一期一会。

 

 さて,「繋がり」つながりで,今回はバングラデシュで感じた人々の「繋がり」を大切にするところについて書いてみたいと思います。

 

 長いことバングラデシュで調査研究をしていると,バングラデシュの人どうしの繋がり,人的ネットワークの広さに驚き,そしてそれに助けられることが結構あります。

 

 バングラデシュ北部の都市マイメンシンにあるバングラデシュ農業大学の研究者を訪問した際の話。バングラデシュでの移動において,レンタカーを運転手さん付きで借りることがしばしばあります。この時もベンガル人のドライバーと共にレンタカーでマイメンシンへ。農業大学に到着して訪問先の研究者と色々と話をしていると,その研究者が「あのドライバーは以前も一緒に来てたね」と。申し訳ないが,レンタカーを借りた張本人の私が全く記憶になく,「よう覚えとるな」と感心しました。また,とある場所で仕事を終えてドライバーに車で迎えに来てもらうため電話しようとしたら,その研究者の方が「私が電話するよ」,と。いつの間には研究者の方とドライバーの方は電話番号を交換していたのです。バングラデシュではよく初対面どうしで気軽に携帯電話の番号を交換しているのを見かけます。推察ですが,またいつか何かの機会で会ったり,或いは会わずとも何かの用事で電話ぐらいするかもしれないと思い,とりあえず連絡先を交換しておこう,という感じなのかもしれません。こうやって人と人の繋がりのネットワークをどんどん広げているのかなあと思ったわけです。

 

 こんなこともありました。空港でクレジットカードを使ってATMでキャッシングをした時,最後にカードを取るのを忘れてしまい,それに気付いてATMに戻った時にはカードがなく,その後すぐにカードの利用停止をカード会社に連絡したりして,少々面倒なことになったことがありました。その話をとある研究者の方にすると,「それ,どこの銀行のATM?」と言われ,「〇〇銀行」と答えると,「〇〇銀行に知り合いがいるから電話でちょっと聞いてみる」と言ってすぐに携帯で電話をしてくれました。すると,一定時間カードが引き取られなかったため,ATMの機械の中にカードが取り込まれたらしく,カードはその銀行の空港近くの支店で保管されていることがわかりました。後日,その支店に行くと,丁重に(多分,研究者の方のツテみたいな感じゆえに)支店のちょっとエライ感じの方のオフィスに通され,自分のカードを返却してもらいました(既にカードは利用停止になっており,もう使えないわけですが,妙に安心してしまいました)。

 

 何か問題が起こった時,知り合いがいるから聞いてみる,みたいな感じで現地の研究者が人的ネットワークを使って色々動いてくれて問題が解決に進むことがしばしばあるのです。日本ではこんなことあんまりないと思いませんか。私,銀行の知り合いなんていませんよ(私のネットワークの狭さを痛感)。

 

 ダッカの街のあちこちに紅茶を出す屋台があるのですが,そこでは多分初対面であろう人たちがまるで知り合いのように会話で盛り上がっているのをよく見かけます。知らない人でも話しかけずにはいられない!って感じ。そうやって自然とネットワークは広がっていくのでしょう。このような人と人のネットワークはバングラ社会の中で重要な基盤になっていると思います。その反面といいますか,繋がりがないと物事が進みにくい部分もあるかな,という気もしております。

バングラデシュで感じた日本との違い~その1(ストレートな表現)

 私,気象の研究者ですが,日本の気象ではなくバングラデシュをフィールドに研究を行っています。バングラデシュで何を研究しているのか,また改めて別のブログで記事を書きたいと思いますが,ここではざっくりと説明をしておきましょう。

 あまり知られていないのですが,実はバングラデシュは世界的に「竜巻」の発生が多い国なんです。このことを初めて知ったのは大学院修士課程に入学した直後。しかもあまり研究がなされていない。ひろーいインド亜大陸の中でバングラデシュという限られた領域に竜巻が集中的に発生する,「なんでやねん?」という大きな疑問を持ったのがバングラデシュでの研究の始まりです。

 

 なぜバングラデシュで竜巻の発生が集中するのか?

 バングラデシュで竜巻が発生する時としない時の気象条件の違いとは何か?

 

そのようなことを主に研究しています。

 初めてバングラデシュを訪問したのは2002年7月。実はその時,海外旅行が人生初めてであり,飛行機に乗るのも初めてという初めてづくしでした。バングラデシュへは直行便でなく,バンコクで一泊してバングラデシュへ行くというフライでした。初めて飛行機に乗り込む関空で既にキンチョー状態でしたが,初めて足を踏み入れる海外となったタイのバンコクではさらにキンチョー,そして翌日のバングラデシュの首都ダッカへ到着した際にはキンチョーを超越して衝撃につぐ衝撃を受けてしまいました。正直,「えらいとこにきてもうた~」と思ってしまった。その衝撃たるやとても一言で言えず。その時受けた衝撃も含め,その後何度もバングラデシュ渡航して感じてきた日本との違い,そういったことを書き留めておこうと思ったのがこの記事を書く動機なわけです。今後も思いつくままに書いていきたいと思うので,今回は「その1」と付けさせていただきました。

 今回書いてみたいと思ったことは,いわゆる「謙遜」というものに関係することかと。ちょっと一歩引いて相手を立てるというような。日本では,「愚息」という言葉があるように,自分の子供のことをストレートに「うちの子はとっても優秀だ!」というふうに言うことはあまりないかと思います。例えば「息子が東大に合格した」という場合でも,ちょっと一歩引いたように「いやあ,模試ではずっとE判定で,合格するとは全然思ってなくて。まあ,試験の問題がたまたま相性がよかったのか,運良く合格させてもらいました」といった感じで言うことが多いのではないでしょうか。

 一方バングラデシュの人たちは,「~大学に合格した」「~試験に合格した」「~試験で高得点を取った」ということを割と「うちの子スゴイ!頑張った!」という感じでフェイスブックで投稿したり,直接話をしていても「ウチの子は~大学で~を学びすごいよくやっている」というような感じです(あくまで私の個人的受け取り方ではありますが)。

 ただ,そういう投稿や話を聞いても全然嫌な感じはしません。そもそも悪い意味での自慢や自己顕示のような気持ちもないと思います。単純に純粋に自分の身内を誇りに思う,そのストレートな思いを表現しているだけだと思います。なので,こっちも純粋に「すごいな,頑張ってはるなあ」と感じます。バングラデシュの人たちと接していると裏の気持ちを感じることは日本ほどはなく,割とストレートに思いを言ってくるように感じます。もちろん,バングラデシュの人々にも本年と建前はあると思いますが,日本ほどではないように感じますね。私にとってはそのようなコミュニケーションの方が割と合っているみたいで,バングラデシュにいる時の方が人間関係がちょっと楽に感じます。なので,日本にいる時よりもバングラデシュにいる時の方が気持ちが楽です。日本はしんどい・・・。

 なんでもかんでもストレートに表現すればよいとは思いませんが,心からの正直な思いや考えを直球で伝えることも大切,バングラデシュの人々と接するとそのように改めて思うわけです。

いつでもどこでも確実にできる決め技を身に着ける

 これまでにギターと歌のステージに何度か立たせていただき,しばしば思うことは「家で練習している時にはすんごい気持ちよく弾けているのに,なぜ本番になると思った通りに気持ちよくできないのだろう」ということです。おかしい,家では一流ギタリストのはずなのだが(笑)。まずは,練習不足。練習の量が足りないということはあるでしょう。日々色々とやらなければならないことがある中で,なんとか時間を見つけて練習する。これを毎日少しづつでもやり続けることが大事。忙しい毎日の中でなるべく練習を継続できる自分なりの方法を編み出すことも大事。そのような継続の積み重ねが本番において最低限の力が発揮できるためには必要。

 しかし,正直言うと,そうは言ってもそれなりに時間を見つけて練習しているつもり。そりゃ毎日はできていないけど,そこそこ継続的に,そして練習の内容もそんなに間違ったことはやっていない気がする。なんだかんだで30年以上一応ギターを続けてきた。

 それと実は私,本番のみならずバンドやデュオの練習,つまり人と合わせて演奏する練習でも,上述の「家で一人でやっている時の出来となんでこんなに違うんだろう」というふうに思うことが多々あります。家で一人で弾いているときは結構「イケてる」と思ってたのに。人と合わせて演奏するとイマイチうまくいかない。

 本番や人と合わせての練習でどうも思った通りに上手くできないわけ。上述のとおり,継続的な練習が足りない,一応やっているとは言ってもやはり不足があるのだろう。でも,この記事で言いたいことは少々そこから外れることなんです。

 では何が言いたいか。観客が1万人であろうとも10万人にであろうとも,演奏の相手がワンちゃんであろうともニャンコであろうとも,はたまた渡辺香津美さんであろうとも,寝ながら食べながら用を足しながらでも目をつむっていても,どーんな状況でも絶対に確実に気持ちよく演奏できるという自分の定番技を身に着けて仕込んでおくことの大切さである。一流と言われるギタリストの演奏を聞くと,その人の演奏するあらゆる曲で共通してお決まりのフレーズが結構多いことに気づく。別にそれは悪いことではなく,むしろそれがそのプレイヤーの個性をすごく匂わせる。技術的に素晴らしくてもその演奏者ならではの定番技というのがない演奏というのは,「上手いなあ」とは思うけど意外に印象に残らなかったりする。技術的に「ん?」という感じでも「うあ,出た。なんかこの人っぽいよねえ」と思わせる演奏の方がより心に残ることが多いような気がする。

 こういういつでもどこでも絶対にできる定番技は,もちろん本番で緊張していても,人と合わせて演奏する時でも,あらゆる場面で十分な余裕を持ってできることだろう。ということは,こういう定番技をたくさん仕込み,さらにそれらのいい感じの組み合わせを体にしみ込ませておけば,いつ何時でもある一定レベル以上の演奏が可能になるだろう。

 このような定番技の重要性は楽器の演奏のみならず,スポーツや授業など様々な分野のパフォーマンスにあてはまることだと思う。

 しかし,そういう定番技って,やっぱり日々の継続的な練習の中で自然発生的に出てきて何気なしに何度も繰り返していて,知らないうちに体に馴染んでいるって感じのものなんだろう。ということは,結局日々の練習の積み重ねが大事だね,という初めの方の話に戻るわけです。

インド行き航空便がキャンセルに

 9月初めにインドへの出張を予定しております。既に航空券の手配も済ませ,ホテルの予約も完了。なのに・・・。

 本日午前に航空券の手配を依頼した旅行代理店より「インド行きの航空便がキャンセルになった」との連絡が!代替のフライト案が航空会社から示されたが,渡航日程が数日ずれてしまう。しかし,仕方ない。既に出張するということで日本及びインドの共同研究者とも話を進めている。今更行かないわけにいかないし。というわけで,各方面と確認及び調整を図り渡航日程をずらして航空会社からの代替案のフライトで航空券を再手配してもらうことに。

 実はインドの航空会社ではこのような急遽のフライトキャンセルは時々あります。今回のように自分が乗る予定の飛行機がキャンセルになったことは過去にも何度かあった。或いは,インド国内でこれから乗る予定の飛行機の搭乗口を空港のモニターで確認していると,他の便で「CANCELED」と表示されているのをよく見かける(つまり,これはその便がキャンセルになったということ)。ちなみに「DELAYED」(遅延)もよく見る。

 ちゃんと調べたりして確認したわけではないが,おそらく飛行機1機飛ばすには相当なコストがかかるだろうから,それに見合わない乗客数だと採算が合わないのでフライトをキャンセルするのだろう。まあ,経営判断としてはアリだとは思う。ただ,客としては大変な迷惑。予定が狂うし,それに伴って各方面との調整が大変だし,場合によっては渡航を急遽取りやめにしないといけないこともあるだろう。ビジネス関係の渡航ならば経済的に大きな損失が生じることもあるかもしれない。今回私も始めは「インドの航空会社はこれだから困る。次回からインドの航空会社はやめるか」と思った。ただ,先に述べたように,フライトのキャンセルはインドでは割とある。私が思うに,インドの人々も基本的には迷惑だと思ってはいるものの,「まあこういうこともあるさ」という感じの受け止め方をしているように思う。そして,そのような急なキャンセルに伴う様々な変更に対して割と寛容というか柔軟であるような気がする。そう考えると,日本はそのような急なキャンセルに対する色々な変更はなかなか大変。そして「もうこの会社は利用しない」となったりする。これって,インドに比べると日本は少々寛容性というか柔軟性がないと言えるのかもしれない。実はインドに来るとある種の日本で感じる息苦しさがなく気楽に感じられて,それが私にとってインドの魅力の一つとなっているのだが,その気楽さはこういうインドと日本の違いに関係しているのかもしれない。ただ,これはどっちが良い悪いというか,文化や習慣,考え方の違い。言い方によっては,日本はそれだけキッチリしているともいえる。

 しかしながら,昨今の日本においては,インドとの文化や習慣などの違いでは説明できそうもない,それをはるかに超えた理由背景での「不寛容さ」を感じてならない。なので,出張ではあるが,私にとってのインド行きは息苦しい日本から脱する「癒し」にもなるのである。

地層と化石から地球の歴史を読み解く

 地層と聞いてみなさんはどんなことをイメージしますか。きれいな縞模様の崖とか。例えば,以下の写真のような感じ。

 このような地層の縞模様はどうしてできるのか,よく考えてみると不思議です。地層の縞模様の一つ一つを詳しく観察すると,同じような色や大きさの砂や石が一つの層を作っていることに気付きます。つまり,砂や石が同じような色や粒の大きさごとにふるい分けられて,それぞれが一つ一つの層を作って積み重なっているということです。では,「誰が」砂や石をふるい分けしたのでしょうか?

 

 実は地層をペットボトルの中で簡単に作ることができます。本当に簡単なんです。色々な大きさの砂や石を含んだ土をペットボトルに入れて,さらに水を入れる。これをよ~く振って十分に混ぜ合わせます。そしておよそ1日そっと静かに放置。すると,下の写真のようにペットボトルの底に地層の縞模様ができています。

 

さて,このペットボトルの地層をよ~く観察してみますと,下の方に粒の大きなものからなる層,上の方に粒の小さなものからなる層ができていることがわかります(下の写真はペットボトルの底の地層を拡大したもの)。

 


 これは粒の大きさによって水の中で沈む速さが違うことによります。つまり,粒の大きなものほど沈む速さが速いので,まず粒の大きなものが下の方にたまってその上に次々に遅れて粒の小さいものがたまっていきます。このように地層の中で上の層ほど粒の大きさが小さい(下の層ほど粒の大きさが大きい)構造を級化層理といいます。

 つまり,お水の中では粒の大きさごとにふるい分けがなされ,粒の大きさが同じようなものどうしが層を作ってそれらの層が積み重なって地層ができるわけです。粒の大きさや密度などによって水の中で沈む速さが違う,このことによりふるい分けが行われ,同じような大きさや密度などの粒どうしで層を作ってそれらの層が積み重なって地層ができる。

 

 さて,地層の形成に関して重要な法則を紹介しておきましょう。それは,

 

1.地層累重の法則

2.水平堆積の法則

 

の二つです。

 

 地層は下から上に順に積み重なっていきます。つまり,下の層ほど時間的に先に形成され上の層ほど後にできる。すなわち,地層の中で下の方ほど古くて上の層ほど新しいということになり,これを地層累重の法則といいます。これは地層の積み重なりの中に時間の流れが刻まれているということなのです。

 上のペットボトルの地層のように,特に乱されることなく静かに地層ができる場合,地層は水平に層を成して形成されます。これを水平堆積の法則といいます。「なんや,そんなん当たり前やん」と思うかもしれません。そう,当たり前なんですが,この当たり前をちゃんと認識することが大事なんです。一体どういうことか。下の地層の写真を見てください。何か気付きますか?

写真の中ほどの崖にあらわれている地層が右上がりになっています。あれ,水平になっていませんね。この「あれ?」と思うことができるのは,地層は普通何もなければ水平にできるよね,という認識がベースにあるからなんです。地層は水平にできるはず,でもできてないやん,これは何かあったに違いない!この「何かあったに違いない」と思えるのは,地層はふつう何もなければ水平にたまるという水平堆積の法則を認識しているから。ふつうをふつうと認識しているから,ふつうから外れた異常を認識し,なぜその異常が発生したのかを調べることになる。それが新しい発見につながる。地層が右上がりになっているのはおかしい。なぜなら地層はふつう水平にできる。何があったのか?詳しい調査の結果,例えばこの地層の右側で土地の隆起があって右上がりになった,というようなことがわかったりするのです。右上がりの地層が当たり前と思ってしまっていたら土地の隆起という過去の出来事の発見には至らないわけ。実際に野外で観察される地層にはきれいに水平にできたものばかりではなく,写真のような右上がりのものや,褶曲(しゅうきょく)といってグニャっと折れ曲がったような地層があったりもします。なぜ地層が水平でなくなったのか,そこにどんな変動があったのか,その理解が土地の成り立ちの理解につながってくるわけです。

 

 さて,続いては化石の話。化石とは,昔の生き物の体や生活の痕跡が地層の中に保存されたものです。体の中でも骨や殻,歯といった硬い分は残りやすい。巣や足跡といった生き物の生活の痕跡がきれいに残って化石となることもあります。化「石」とは書きますが,氷の中で冷凍保存されたマンモスなど,別に石でなくても化石とよばれるものもあります。化石とは生命の発展の歴史を知る重要な手がかりとなるもの。

 化石は生命の歴史だけでなく地球の歴史を読み解く上でも重要な手がかりとなります。そのような地球の歴史の理解の手がかりになる化石として示相化石示準化石があります。

 示相化石とは,地層がどのような環境で形成されたのかを知る手がかりになる化石。例えば,サンゴは暖かくて浅い海に生息する生き物なので,サンゴの化石を含んだ地層もそのようなサンゴが生息する環境(暖かくて浅い海)で形成されたものと考えられます。他にも,ブナはやや寒い気候の下で生息するので,ブナの化石を含む地層もそのような気候の下で形成されたと考えられます。

 示準化石とは,地層がいつできたのかを知る手がかりになる化石。恐竜は中生代(今からおよそ2.52億年前から6600万年前までの間を中生代とよぶ)に繁栄した生き物。よって,恐竜の化石を含む地層は中生代に形成されたと考えることができます。石炭紀からペルム紀(今から3.59億年前から2.52億年前までの間)にかけて繁栄したフズリナという熱帯から亜熱帯の浅海に生息した生物の進化の過程はよくわかっていて,このフズリナの化石の種類や形態などを調べるとそれが含まれる地層のできた年代を詳しく知ることができます。

 示相化石,示準化石としてそれぞれ価値が高くなる条件があります。生息域が限られている生き物の化石は示相化石として価値が高いです。生息域が限られている生き物の化石の方が地層のできた環境をより特定的に知ることができます。例えば,極端でちょっとあり得ない例ではありますが,海も陸もOK,暑いところも寒いところもOK,という生き物の化石では示相化石として地層のできた環境の特定の手がかりにはなりませんよね。逆に,海の中の深さが100mほどで水温が10℃くらいで水質の良いところというような限られた条件でしか生息できない生き物の化石は,その化石を含む地層もやはりそのような限定的な条件で形成されたことになり,地層のできた環境をより特定的に詳しく知る手がかりとなります。同じように考えると,示準化石として価値が高いのは生息期間が限られているということ。かなり生息期間の短い生き物の化石を含む地層は,やはりその限定的な期間にできたと考えられ,地層の形成年代を絞り込むことができます。先に述べたフズリナ石炭紀からペルム紀という約1億年という地球が出来てから現在までの46億年の中では比較的限られた期間にだけ生息していた生き物なので,示準化石として有用です。あと,生息域が広いという条件は示相化石と示準化石のどちらにとっても価値が高くなる条件。世界中に広く分布する生き物の化石は,それを含む離れた地域の地層のできた環境や年代を比較する手がかりになるので,地球や生命の歴史についてより広く地球規模で詳しく知る手がかりになります。

 

 最後に,ここまで説明したことをふまえた練習問題を一つ考えてみましょう。

 

 下の図に地点①と地点②の二つの離れたところの地層を模式的に書いてみました。地点①のB層と地点②のF層には同じ化石が含まれていたとします。A,B,C,D,E,Fそれぞれの層の積み重なりの順序はどうなるでしょうか?という問題です。

 まず地層累重の法則により,地点①での層の積み重なりの順番は古い方からA→B→C→D,地点②ではE→A→F→Cとなります。地点①のB層と地点②のF層には同じ化石が含まれていることからこれら二つの層は同時に,しかも同じような環境でできたと考えられます。さらに,地層累重の法則より上にある層ほど新しく下にある層ほど古いので,A層とE層を比較すると,地点②ではE層はA層の下にあるので,E層はA層より古い,つまり積み重なりの順番はE→Aとなります。同じように考えてC層とD層については地点①での積み重なり方から見てC→Dの順に積み重なったと考えられます。また,B層とF層は同じ時期にできた,C層はこれら二つの層より上にありA層はこれら二つの層より下にあることから,古い方からA→B=F(B層とF層は同じ時期にできた)→Cの順に積み重なったと考えられます。以上のことから積み重なりの順番は古い方からE→A→B=F→C→Dとなります。

 この練習問題では同じ化石を含むB層とF層を同じ時期にできた地層と考えましたが,これは地層同定の法則に基づきます。地層同定の法則は,同じ化石の内容を含む地層は同時期にできたと考えることができるという法則です。

 地点①と地点②という離れた二つの地点の地層を比較することで,それぞれ1地点だけからではわからないより詳しい地層の積み重なりの順序を知ることができました。地点①の地層だけからは地層累重の法則に基づいてA→B→C→Dという順序しかわかりませんが,地点②との地層との比較からAより古いEの存在がわかるなど,地点①のみならず地点②も含めたより広い地域の地層の積み重なりの順序を知ることができます。これを地層の対比といいます。地層の対比を多くの地点で積み重ねていけば,地球規模での地層の積み重なり方,つまりより広い規模での地球の歴史を知ることに繋がってくるわけです。

 

 このように地層に関する基本法則と化石を手掛かりに地層の積み重なりの順序を知ることができ,これに基づいて地球の歴史を読み解くことができるのです。

星座が季節を通して動いて見えるわけ

 夜空に輝く星座を観察していると時間とともに見える位置が変化していることに気付きます。ある時に南の方に見えていたのに数時間後には西の方に動いたように見える。これは星そのものが動いているのではなく,地球が自転をしていて,その自転する地球にのっている我々も動いていて,動いている我々から止まっている星を見ると星が動いたように見えるわけです。ある夜に星が時々刻々動いているように見えるのは地球の自転のため。さらに,ある日の夜だけでなく,毎月同じ日の同じ時刻にある星座を継続的に観察すると,その星座の見える位置が月ごとに動いていくように見えることに気付きます。

 冬の代表的な星座の一つであるオリオン座。下の図はオリオン座を11月から5月まで毎月同じ日の同じ時刻にどの位置に見えたかを示した図です。1か月ごとにオリオン座が西の方に動いているように見えます。また,11月には東の地平線上に上がってきて見え始めてきたかなという感じ,5月には西の地平線に沈んでいってしまうなという感じです。つまり,5月から11月の6か月の間にオリオリオン座は180°回転したように見えたわけです。6か月で180°ということは1か月あたりで30°(180°÷6か月)。つまり,オリオン座は1か月ごとに西に30°ずつ動いているように見えるというわけです。このような星の季節を通した動きを星の年周運動といいます。

 

 星の年周運動はなぜ生じるのか。星がある夜に時間とともに動いているように見えるのは,星がそのように動いているのではなく地球の自転によるものということを先に述べましたが,実は星の年周運動も地球の動きによるもの,特に地球の公転によるものです。地球の公転とは,地球が太陽の周りを1年かけて1周することです(下の図参照)。

 

下の図は星の年周運動と地球の公転の関係についてまとめたものです。この図の中で,地球がAの位置からBの位置まで1か月かけて公転した場合を示しています。地球は1年で太陽の周りを1周する,つまり12か月かけて1周360°回転。ということは,1か月では360°÷12か月で30°ずつ公転することになります。よって,地球は位置Aから位置Bまで太陽の周りを30°回転します。またこの図は地球の北極真上から地球の公転の様子を見たものです。地球を北極真上からみると自転の方向は反時計回り(時計の針の進む向きと反対の向き)です。またこの自転の向きは西から東の向きでもあります。太陽は東の方から見えてきて西の方に見えなくなっていく。これは太陽がそのように動いているのではなく地球が自転しているから。止まっている物体を動きながら見る時,その物体が東の方から見えてきて西の方に見えなくなるということは,西から東に動きながら止まっている物体を見ているということです。よって,地球の自転の方向は西から東の向きとなります。

 まず地球がAの位置にある時,地球から見て太陽の見える方向と反対の方向に星が見えていたとします。そして1か月後に地球がBの位置まで公転する。1か月後のBの位置から星を見ると,太陽と反対の方向には星は見えません。Bの位置から見えて太陽の見える方向と反対の方から西の方にずれた方向に星が見えるようになります。つまり,1か月後には星が西の方に動いたように見えるわけです(1か月前には太陽と反対の方向に見えていたが今は見えず,その方向から西の方向に見える。つまり,1か月で星が西に動いたように見える)。

 さて,星というものはふつう地球からうーーーーんと離れたところにあります。地球から4光年(1光年は光の速さで進んで1年かかる距離)離れたところの星でも近距離星とよばれ割と地球に近い星とされています。4光年とはざっくり40兆km!これだけ地球から遠く離れた星ですと,位置Aから見る方向と位置Bから見る方向の違いは微々たるものであり,もう同じ方向と見てよろしいということになります。つまり,位置Aから星が見える方向と1か月後の位置Bから星が見える方向は平行と考えてよいということになります。

 このように,位置Aの地球から星を見る方向と,公転して1か月後の位置Bの地球から星を見る方向は同じと考えることができます。そうしますと,上図の右下の図で示した通り,位置Bから見ると星が1か月前に見えた方向から西に30°動いたように見えます。これは位置Aから星を見る方向と位置Bから星を見る方向が同じ(平行)なので,位置Bから太陽の見える方向と反対の方向と星が見える方向の間の角度と,位置Aと位置Bの間の角度(30°)が同位角の関係で等しくなるからです。

 

 最後にポイントをまとめると,

  • 地球は1か月で30°公転する(360°÷12か月=30°/1か月)
  • 地球の自転の方向は西から東
  • 1か月公転後の位置からある星を見ると,1か月前に見えた方向から西に動いたように見える。
  • 星は地球からとても遠くになるので,星の見る方向は変わらない(と考えることができる)。

 

以上のことから,

 

星は1か月で西に30°動いたように見える。これは地球が公転していることによる

 

となります。