大学教員,科学と教育と音楽について語る

大学教員(気象予報士)でありギター弾きのワタシが,天気に科学に教育に音楽に,日々思う雑感を語ります。

ChatGPTについて,思うこと

 ChatGPT,熱く盛り上がっていますね。大学の教育現場では,ChatGPTの授業での活用やレポートでの”悪用”などなどで活発な議論が始まっているようです。中には,「ChatGPT」の使用を認めないとする大学もあるようで,今後も色々と議論が盛り上がりそうです。

 ワタシもChatGPT使ってみました。大学では地学に関する講義を担当しているので,試しに地学のレポートでありそうな課題を入力してみました。「プレート境界型の地震のメカニズムとは」「モンスーンが人間社会に及ぼす影響とは」といった質問を入力してみました。

 さて,その回答は・・・。これがなかなかの出来でした。まず,文章自体がとても自然で違和感がほとんどない。例えば,これまでのネットでの翻訳機能は違和感満載の日本語だったりしましたよね。多分,これらの翻訳もAIによるものだったと思うのですが,ChatGPTの回答については日本語の文章の不自然さは全くないと感じました。内容についても殆ど間違いはない。「モンスーンが人間社会に及ぼす影響とは」といった色々な考えや意見が出てきそうな質問についても,極めて妥当と思われる複数の考え方が学術的な間違いもなく示されていました。確かに,これはレポート作成で使われたら「困るな」という印象を持ちました。

 ただ,ChatGPTの回答を一通り読んで思ったことは,「なんか面白くないな」ということです。瞬時に色々なところから情報を収集しそれらを自然な文章でまとめる,教科書やネットにのっているものを集めてきてそれらをきれいに繋げて無難にまとめただけという感じ。一般的に知られていることを,至極妥当な形でまとめただけということで,そこにはオリジナリティは感じられません。

 しかし,私はそれはそれでいいと思います。というか,そもそもAIの役割はそこにある。つまり,瞬時にたくさんのデータを収集し,過去のパターンをふまえて妥当な形で情報を提示する,それがAIの得意とするところであり,AIが果たす役割だと思います。言ってしまえば,AIにオリジナリティや個性は必要ない。オリジナリティや個性は,AIが提示した情報を活用する人間が発揮すればよいのです。

 情報を収集しそれを的確にまとめて表現することは大切で,学生に身に付けてもらいたい力です。情報を収集する際に自分がどのような情報が必要なのか明確にすること,その情報は具体的にどのように収集できるのか,集めてきた情報をどのようにまとめるか,これらのことは今後も必要な力です。ただ,この情報化社会とよばれて久しい大量で多様な情報が溢れる現代において,自分ひとりでできる情報収集とその集約には限界があります。情報収集とその集約,それを表現する能力を磨きつつ,AIも道具の一つとして活用すればよいだけの話だと思います。その活用について実践的に探究を通して身に付ける場や機会が大学の学びにあってもよいと思う(いや,あるべきではないかとも思う)。というわけで,私は現時点で大学での学びにおいてChatGPTを排除するというのことには違和感があります。

 これから大学教員として考えていきたいのは,学生がChatGPTのようなAIを使って収集集約してきた結果をふまえて,学生自身が何をどのように考えたのか,新しい提案や発想は何か,これらの点をいかに評価するかということ。或いは,AIが出してきた結果を活用して,いかに自分の創造性を発揮できるか,そのための教育とはどのようなものか,というようなところだと思います。これまでのように教科書に載っていることをそのまま伝え,それらの知識を間違いなく理解,暗記しているかをテストで確認するだけではもうダメかなと思います。教師を目指す学生にも,教科書や指導書などに記載されていることをそのまま伝えるだけでなく,その中でも教師自身が何を思い特にどういうところに注目するか,どこに面白みを感じるか,教科書ではこう書いているけど先生はちょっと違う視点でこう思うとか,教師自身の発想や個性がもっと滲み出る授業をする,そのような授業ができる力をつけることが大切だと伝えていきたいし,私自身もそのような講義を目指したと思います。

 と,少々大げさに書きましたが,要は素直に自分が「オモロイ」「ダイジ」と思うことを熱く語り,そういう人や場所に学生をどんどん巻き込んで引っ張りこんでいけばいいだけという気もします。そういう中で必要最低限の知識,教科書的なことも必要に応じて仕込んでいく。そのために,自分がピンとくる感性アンテナを敏感にして,そのアンテナに引っかかる本や人とたくさん出会い,知の栄養をドップリ蓄えていきたいと思います。