大学教員,科学と教育と音楽について語る

大学教員(気象予報士)でありギター弾きのワタシが,天気に科学に教育に音楽に,日々思う雑感を語ります。

大学での学びは何でもツッコミをいれること

 4月になり本学にもフレッシュな新入生がたくさん入学してきました。新たな生活や人間関係,学びへの期待,毎年ほぼ同じことばかりやっている私にはない新鮮さが感じられてこちらも良い刺激になる,そんな季節でございます。

 入学したての大学1年生と毎年接していて思うことは,なかなか高校までの親切な学校システムから抜け出せていないな,ということです。高校までは色々と大事な情報は担任の先生が丁寧に教えてくれたでしょう。取りこぼしのないよう,密に面倒をみてもらっていたと思います。

 しかし,大学は違います。必要な情報は自分でとっていく。私の大学生の時と違って昨今の大学ではガイダンスが綿密に実施されていて,重要な情報が全体に対して提供される機会は増えています。しかし,それでも自分にとって必要で重要な情報は自分で収集し確認することが基本です。

 学びについても,何をどう勉強するか,高校までは教師がしっかり示してくれていたと思います。何をどこまでどうやって学ぶのか明確に示され,言い方が少々悪いですが,それに沿って粛々とやっていれば,まあ大きな問題はなかったと思います。しかし,学びについても大学ではこのような「消極的な」姿勢ではダメだと思います。ダメといいますか,そのような姿勢では折角の大学の自由な学びが台無しになると思います。

 大学では、まず今まで学んできたことに対して根本から疑い批判的見るということをやってほしい。「物質は原子や分子でできている」ということに対して,そもそもどうやって目に見えない原子や分子が存在し,それらが物質を作っているということがわかるのか。「空気の8割は窒素,2割は酸素」というが,やはり窒素も酸素も目に見えないのに,どうしてそんなことが言えるのか。「1192年鎌倉幕府成立」と暗記しますが,そもそもなぜこのタイミングで成立したのか,その経緯や背景は?裏でどんなことがあったのか?などなど。高校までは当然のように習い覚えてきたこと,改めて問い直すと次々に疑問が湧いてくると思いませんか。このように,今まで常識,当然のことと思われていることにツッコミを入れることが大学での学び,学問のスタートだと思います。

 大学では「学問」をやってほしい。当たり前と思われていることを改めて問い直し,その根本を見つめ新たなる真理を求める。その探求が研究であり,その意味での研究をやってきた研究者が大学の教員です。研究者である教員とじっくり向き合いながら(時には酒を酌み交わしながら)学問の追究を通して本質を見極める力を養い,そのプロセスの中で自分ならではのアイデアや発想を育んでほしいと思います。