大学教員,科学と教育と音楽について語る

大学教員(気象予報士)でありギター弾きのワタシが,天気に科学に教育に音楽に,日々思う雑感を語ります。

科学と芸術は表現の仕方が違うだけ

 科学と芸術,なんだか全く別物と思われる方が結構いるのではないでしょうか。科学は答えが1つだけど芸術は答えがない,とか。しかし,科学も芸術も何かを表現しようとするときの方向性や方法が違うだけ,求めているものは結局同じ,という話をしたいのです。

 「風」を例に考えてみたいと思います。科学では風は空気の動きであると説明され,その動きは空気にどのような力がいかにして働いているか,そういったことを方程式という数式で表現します。風を方程式で表現することができれば,風がどのように時とともに変化するか,量的に理解したり予測したりすることができます。一方,芸術では,風の荒々しい様子を音や絵で表現したり,そよ風のような優しい雰囲気をダンスの優雅な動きで表現したり,風を表現者の感性と創造性に基づいて音や形により様々に表現します。

 ということは,科学も芸術も何かを表現する,表現したいという思いの点では同じであり,数式で表現するのか,音や絵,ダンスなどで表現するのか,表現の仕方の違いなのです。人間は自分の思いや考えを表現する,表現したい生き物。人間の内側から立ち上ってくる表現したいという思い,それをより具体的な形にして表す方法として科学や芸術があるのだと思います。

 科学と芸術を単純に全く別物だと考えるのではなく,「風」という現象を方程式で捉え表現するのか,音や絵,体の動きで表現するのか,「風」を表現したいという思いは同じであり表現方法の違いなのだと考えると,風というものに対する見方が幅広くなり,自分の世界が広くなるように感じませんか。

 ところで冒頭において,科学は答えが1つとと思っている方が結構いるかも,ということを書きましたが,そんなことはありません。そもそも科学の疑問に対する答えが1つで済めばそれで科学の探求は終わってしまい,それ以上の進展はありません。追求するネタがなくなるわけで,我々科学の研究をしている者の仕事もどんどん無くなっていきます(笑)。でも,そうはならない。むしろ逆に,科学は研究して探求すればするほど疑問が湧いて出てくる。科学の答えが1つ,というのは,学校や受験での数学や理科の問題で答えが1つというところから来るイメージだと思います。そもそも数学や理科に限らず,学校や受験における問題に対する答えは一つでないと困るわけで(正解を一つに決めてそれ以外は不正解という形にしないと成績の評価がやりにくいし,受験の合否の判断ができない),答えが1つというか,答えが1つになるように問題を作っているわけです。実際の自然現象は誰かが(神?)そのような前もって答えが1つになるに仕向けられていることはないわけで,そもそも答えのようなものがあるのかすらわからないのです。