大学教員,科学と教育と音楽について語る

大学教員(気象予報士)でありギター弾きのワタシが,天気に科学に教育に音楽に,日々思う雑感を語ります。

知識の詰め込みは本当に必要ないのか

 最近,ChatGPTがすごい話題ですね。とっても賢いようで。近年の AIの発展の中で,知識の詰め込みは意味がない,これまでのいわゆる受験は無駄,というような話が散見されます。しかし,知識の詰め込みは本当に必要ない,意味が無いのでしょうか。

 これからは,知識を単に詰め込むのではなく,知識の検索はAIに任せて,AIが拾ってきた知識や情報を活用して問題を解決したり新たなものを発想したりすることが大切だと言われています。これまでの学校教育で,歴史の年号や英単語,公式を無理やりに意味もわからずに暗記させられてきた方々にとっては「まさにその通り。あんな無駄なこと要らない」と思う方も多いかもしれません。確かに「無理やり」「意味もわからず」暗記をするというのは,私も意味がないことが多いと思います(全く意味が無いとは思えませんが)。でも裏を返せば,無理なく意味がわかって暗記するのなら意味はあるという考え方もできると思います。

 歴史を学ぶ上で,出来事の時系列はとても大事だと思います。ある出来事は歴史的な文脈の中で生じるものであり,ある時突然前後の出来事や状態と関係なく生じるものではないと思います(冷夏などの自然現象は違いますが)。歴史上の出来事の時系列を把握する上で年号を暗記するというのは,歴史を学ぶ上でそれなりに意味があると思います。年号というタグを出来事に付して出来事の時系列を頭の中で把握しやすくする。このように,年号を覚えることの意味がわかれば「意味もわからず」暗記にはならないのではないでしょうか。そして,歴史の面白いところって,この出来事の時系列的なつながりや流れにあると思うんです。ある出来事はこれが発端でこのようなプロセスや背景の文脈の中で起こった,そのようなストーリーが示されれば歴史って面白いと思えるし,そうなると「無理やり」暗記にはならないと思います。

 直面する問題の解決には様々な知識とそれらの繋がりが土台として必要不可欠だと思います。新しいことを発想するにも土台となる知識や情報が必要でしょう。全くの無から新しい発想なんてありえない。これらの土台となる知識や情報をAIで拾ってきて揃えればすぐにそれらを使って問題を解決し新しいものを発想できるのでしょうか。私はそこに疑問があります。頭の中に知識や情報が蓄積され,それらがある時間を経て頭の中で体系化されたりネットワーク化されて熟してくる。そのような頭の中で熟した知のネットワークが土台になって新たな発想がわきあがってきたり問題解決のためのアイデアが浮かんでくるのではないでしょうか。熟した知識とそのネットワークの土台がなくて,AIで拾ってきた知識や情報を目の前にそろえるだけで,それらを十分に活用することができるのでしょうか。

 「無理に」「意味もわからず」の暗記は私もかなり無駄があると思います。これまでの受験にはそのような側面があって,現状の受験には大きな問題があることも確かでしょう。しかし,知識の詰め込みそのものが全て間違っている,必要ないというのではなく,知識を詰め込むことの意味を伝え,詰め込み方にも工夫を凝らす,そしてこれらの知識を頭に入れることによって得られる面白さがわかるようにすればいいのではないかと思うのです。