大学教員,科学と教育と音楽について語る

大学教員(気象予報士)でありギター弾きのワタシが,天気に科学に教育に音楽に,日々思う雑感を語ります。

楽器のうまい人は動きも美しい

 もうかれこれ30年近くギターをやっておりますが,その中でいつも思うことは「楽器がうまいとはどういうことか」ということです。「うまいと何か」がわかれば必ず楽器がうまくなる,というわけではありませんが,やはり少しでも自分の演奏がよくなるために知りたいとおもうところです。なぜあの演奏はこんなにも素晴らしいのか,逆になぜこの人の演奏はこんなにも下手に聞こえるのか,その違いは何でしょうか。

 YouTubeで一流のプロからアマチュアの方まで,色々な人の楽器の演奏の動画を見ることができます。それらの様々な動画をみて,「うまい演奏」と「へたな演奏」の違いって何だろう,とよく観察します。必ずしもそうとは限らないのですが,その違いについて気づいたことがあります。

 演奏が上手い人はその演奏の動作が美しい。音を消して演奏の動きだけ見ていても十分鑑賞することができる。動きだけで「あ,この人素晴らしいプレイヤーだな」とわかる(ような気がする)。逆に,演奏の下手な人の動作は美しくない。

 上手い人の動作の何が美しいと感じさせるのでしょうか。あくまで私の妄想ですが,そもそも楽器の演奏には幾つかのツボといいますか,力の入れどころのようなものがあって,うまい演奏というのはそのツボに必要最小限の力がピッタリとヒットしているようなものではないかと思っています。うまい人は,これでもか!というぐらいにツボにピッタリ無駄なく力が加えられている。その無駄のないスムースな動きが美しさを感じさせる。もちろん,加えられるべき力が要所のツボにちゃんとヒットしているので音も美しくなる。逆に下手な人は,そのツボを外しまくっている。例えると,そのツボの範囲が1mmでそこに10の力が加えられれば十分であるところを,その1mmの幅のツボにピンポイントで力を加えられないから100の力を1cmのように幅広く加えて,その範囲の中でたまたまでもいいからツボの1mmのところにとりあえず力が加えられればよい,という感じ。ツボがどこにあるかわかってないから,無駄に大きな力を幅広に加えて,その中で運よくツボに力がとりあえず加わればOKという感じ。うまくツボにヒットしたとしてもツボ以外の範囲に無駄な力を使っているので,ツボに加わる力が不十分となる。つまり,力が加えられるべきツボに十分な力が加えられていない。このようなイメージを持っています。要するに,うまい人は演奏の要所要所に的確に力が加えられている。このことが演奏の動作という外見にも表れていて,それが美しい動作となってくる。

 演奏の上手い人の動画を見ていると,共通して見られる動作が結構あるように思います。鏡を見ながら自分の演奏を確認し,そのような動作を取り入れるように練習をしていると演奏が良くなっていくと感じています。最近は,練習及び本番で譜面台に鏡を置いて,手元の動作を確認しながら演奏するということを試みています。音楽なので音で学ぶことはもちろん重要ですが,音を離れて見た目の動作で学ぶことも結構あるように思います。

 そういえば、演奏うまい人って,演奏前のステージのマイクの前に立った瞬間に「あ,この人うまいかも」って思うこと,結構あります。演奏をするまでもなくステージの立ち姿に演奏の良し悪しが表れている。演奏する以前の姿勢にも演奏にとっての重要なツボがあるということでしょうか。

 楽器を演奏するということは本当に奥が深く,一生モノの学びです。